2017年7月28日金曜日

高校サッカーの空気感

この夏色々な高校に出向き練習風景を眺めさせてもらっている。

6月末は東北地方、7月初めは九州地方、中旬は北信越、そして時々愛知県内。
練習を眺めていると緩やかな空気、引き締まった空気、はたまた和やかな空気、ああ、この空気感は強くなるな、この空気感ではちょっとな?と手に取るようにわかる。

自分もこの空気感には相当こだわってきた。
引き締まった空気を作ることが、どれほど選手のアタマの中とココロの中のトレーニングとなるか、常に演出をしてきた。

色々な高校を見ると、監督が引き締まった空気を作らなくとも自然にできている高校もある。
あえてその空気感を演出しようとしている監督もいる。その緊張感に持続性がなく、常に演出をしている監督もいる。

最近よく言っている頭と心の訓練、スキルと頭と心のバランスを取るための空気感。
とにかく大事。

今年も高校サッカーの練習風景を沢山見て、今後の演出に役立てたいと考えている。
小崎 峰利

2017年3月29日水曜日

頭の柔軟性

先日、選手に話をした。
「“信号の赤は止まれだよ”“黄色は注意だよ”“青は進めだけど、右見て左見て、もう一度右を見てから渡るんだよ”、小さい頃このように教えられてきたよね。」
横断歩道の前に来てはこのように話をしてもらい、反復で教えられてきた時代がある。

現実のサッカーにおいては、選手が反復で教えられる内容や時間に制限がある。
まずは、基本的に道路を渡るときには何が危険かを予測して、その危険を回避するためにどのような注意をして、どのような行動をしなければいけないかを自分自身で考え実行するということをしていかなければ、頭とイメージの訓練はできない。何でもかんでも具体的なことを教えていくのは無理がある。

まずもって、頭の柔軟性が大事。

勝負に強いチームの選手を見ていると、現時点での身体能力やアジリティに差があることは歴然。現在の名古屋FCの選手は、身体の作りやバランスが良くない選手が多い。

身体の出来具合の差や技術的な差は、今からでも縮まっていくはず。しかし、この育成年代の初期に、先に書いた頭を柔軟にさせ、物事の全体を見たうえで、細かいことを予測してのマネジメントや、論理的に組み立てていく能力を身につけさせなくては、サッカーのプレーどころのことではなくなると感じている。

名古屋FCでは、どのようなレベルでも現在必要なことに特化して、どのようなレベルに行っても困ることのない頭の柔軟性を身に着けさせるよう努力をしている。今後もこのことについては追及していこうと思う。

次回は、“予測と配慮について”か“社会性について”のどちらかにフォーカスする予定である。
小崎 峰利

2016年10月28日金曜日

何となく

最近の中学年代の選手を見ていると、”何となく”サッカーをやっている選手が多くいる気がしてならない。

過去においては、身体能力が高く、サッカーにまつわる感性がある選手が多く存在していた。その選手たちが”何となく”サッカーに取り組んでも、ある一定のレベルまでは到達できた。
                             
現在は、サッカーというスポーツが身近になってきて、誰もがサッカーを始められる環境が生まれてきた。以前にも書いたような気がするが、サッカーを始めて最初のテクニック習得はボールリフティングである。今も昔もリフティングの回数を伸ばすため、それぞれが相当な努力をしてきたはずである。しかしながら、その次の”止める””蹴る””運ぶ”という単純ではあるが最も重要なテクニックに対してのトレーニング、また、試合などでのパスひとつにしても”何となく”が少しずつ目立ってくる。
確実に相手選手の脚に当たる場面でも、”何となく”ボールを蹴ってしまう。ゴールキーパーの位置など関係なしに、”何となく、あの辺に”シュートをしてしまう。

勉強にしても、やらなくてはいけないとわかっているにもかかわらず、”何となく”勉強机に座って安心をする。親御さんも、勉強机に座っている息子を見て”何となく”ホッとする。塾に行っている間は安心する。
サッカーも勉強も同じである。全く同じではないかもしれないが、サッカーは好きで始めたはず。勉強はほとんどの選手があまり好きではない。にもかかわらず”何となく”サッカーに取り組む子供が多すぎる。
サッカーは好きだから、夢中にはなる。夢中でやれば多少は身につくものはある。勉強は”何となく”やっても身につかないし覚えられない。

時代背景も影響をしている。
技術の習得や良い習慣作りは何かしらの苦労を伴う。しかし、今の世の中は何かを身に着けるためや情報を仕入れることに、さほどの苦労がいらないようなシステムが多い。苦労や我慢ばかりが良いと言っているわけではない。この大事な時期の3年間で、”何となく”をやめて、前にも書いた”本気になって真剣に”取り組むことを頭で理解させ(この理解させる作業が難しい)、それをひとつひとつのトレーニングや習慣作りに反映をさせることが先決と考える。

”何となく”をやめ、トレーニング中の”トラップ一回””パス一本”にこだわりながら、さらにボールを”奪う””奪われない”ことに徹底的にこだわりながら取り組むことで、格段のレベルアップが図れると信じている。


上のカテゴリーに行っても、このこだわりを継続することができる選手を育成し、また、継続できなくなりそうになったら、選手が所属するチームへ出向き、”本気になって真剣に”を思い起こさせるなどのフォローを地道に行ってきたことが、名古屋フットボールクラブの歴史を作ってきたと考える。
                                                                  小崎 峰利

2016年7月12日火曜日

”聞く力””考える力” vol.2

“サッカーは、感性のスポーツである”
“教えすぎは、良くない"と言われる

確かにサッカーには正解はない。良い場合も悪い場合も含め、指導者の思惑とは違った選手の選択が思わぬ結果を招く。

ある場面で、「そこはシュートだろ」と思ったらパスを選択した。「そこはパスだろ」と思ったら、強引にドリブルを仕掛けた。指導者の思惑とは違った選択をしたのだが、その後の結果はゴールだった、という場面が多々ある。

そこで、我々が指導するのは“選択肢の多さ”である。
「その選択しかなかった」ではなく、「いや他にも選択があったけど、敢えてそうした」のであれば、その選択は否定できない。

サッカーにおいて、攻撃に関しては感性が大きなウェートを占める。ただ、我々が指導する対象の選手は、個人技術、個人戦術を覚えることが大事である。
例えば、前を向いて欲しい場面で、利き足を理由に前を向くタイミングがワンテンポ遅くなることがある。何度指摘をしても改善されない。このようなことが多々ある。

この現象は、何度聞いても頭の中での意識が低く、その場面での感性というか、思いのままにコントロールをしてしまうという繰り返しが多い。そのままの状態で、もっとスピードがアップする上のカテゴリーに行った場合、即座につぶされるプレーとなる可能性が高い。そのような場合は、個人戦術の問題。

また、よく耳にするのは「ボールばかり見るな」という声である。わたしもよく言う。何度言ってもボールにつられる。これは、意識不足によることが多い。“頭を使う”とは、こういうこと。

「サッカーは、頭が良くないとできないんだよね」と指導者は言う。この場合の頭が良いということは、“聞いたことを意識して実行しようとしてきた回数が多いか否か”ということである。

学校の成績とは若干意味合いが違う。ただ、学校の成績ともリンクすることがあるということも事実である。

結局は、いかに話を聞いて、頭の中で整理整頓して、即座の実行を心掛けるかということに他ならない。聞く力を身に着けることは重要。

サッカーは、能力と感性だけで上を目指すのが難しいスポーツになってきている。
小崎 峰利

2016年6月21日火曜日

“聞く力” “考える力” vol.1

大学サッカー部の指導を引き受け、今年で7年目に突入する。その間、名古屋フットボールクラブも並行して指導してきた。

その中で、ここ数年特に感じることがある。
大学生でも伸びる選手と伸びない選手が極端に分かれることを実感している。

「それは何故か?」と考えると、まずもって“話を聞くことができるか否か”である。

指導者が、選手を集合させていろいろと話をする。集合させるにしても、指導者は壁を背に立つ、風下に立つなど選手の集中力を妨げないような立ち位置を考えている。
にもかかわらず、大学生にしても中学生にしても(たぶん高校生でも同じだと思うが…)、コーチが話をしているときに一人一人の表情や眼つきなどを観察していると、間違いなく話には集中していない顔をしている選手がいる。年齢が上に行けば行くほど、その傾向は顕著である。
集合という形態だけがすべてであり、話の中身はあまり聞いていない。人が話をしているのに、隣の選手と話をしている選手もいる。座って話をしようものならスパイクのひもを触ったり、ストッキングを触ったりとまるで休憩時間のようでもある。さすがに中学生では、そこまでやる選手はほぼいないが…。

サッカーシーンにおいては、当然のごとくリアルタイムで話をすることが多いはず。時には、プレーをフリーズして話をするわけだから、その場面一つ一つがどれだけ大事かが、わかるはず。そのようなときに“聞いているふり”をしている選手がどれだけ多いことか。これでは、戦術など動きの説明をしても前に進まない。

最近のJリーグで、ある監督が「技術ではない。スペースをどのように埋めることができるかだ」と言っていた。このように動きというのは、特に守備に関しては戦術を理解するというより、どのようにポジションを取るとかということになってくる。

中学1年生で既に話を聞くことやその話を聞いて即座の実行ができない選手が、年々増えてきていることは紛れもない事実である。これは、人の話を聞くという場面が確実に減ってきているし、大学生に至っては高校時代に聞くふりをしてきた選手が、いかに多いかといことに他ならないと考える。

目に見える技術は身体で覚えることが多いが、これも頭脳を働かせながらポイントを押さえて反復練習をするか否かでは雲泥の差がある。

“聞く力”“考える力”はどのようにして養われるのか?

名古屋フットボールクラブではこのことを踏まえ、“聞く力”と“考える力”、また、“聞いて考え、それをいかに表現し行動していくか”ということを教え込むことが重要であると考えて指導している。
最近では、「こうすれば選手の頭脳のアンテナをしっかり立たせ、頭脳の中へ落とし込むことができる」という、ちょっとした手応えを感じながら日々話をし、実行させている。

小中学生のお子さんがいるご家庭でも、どうしたら“聞く力”“考える力”が養われていくのか考え、少しでも意識させるということを普段の生活の中で実行していただくことで、着実に選手たちの頭脳に定着していくはずである。 ~パート2へ続く~

小崎 峰利

2016年4月5日火曜日

やらせれば出来る

よく聞くフレーズに「やれば出来るのに・・・」ということがある。
ある親御さんは「やれば出来るのに、やらないんですよ」とか「やりなさいと言っているのに、やらないんですよ」と・・・。

私は、名古屋フットボールクラブを始めたときから、“やれば出来る”ではなく“やらせれば出来る”と信じてやってきた。

選手の基準は、それぞれである。
生まれ育った地域や家庭の基準、それぞれの性格における物事への関わり方。
周りに居ることの多い大人の考え方や基準。影響力の強い人の基準。

そのような、それぞれの基準が異なる中学生、しかも、「今後プロを目指したい」とか「強くも上手くもなりたい」と言う様々な選手を預かるのである。その選手達を、それぞれの基準でやらせていたら、上に行くことが出来るはずがない。

“やらせれば出来る”という言葉は、聞こえは悪いが、サッカーというスポーツの競技性を考えれば、また、今後のカテゴリーや社会を考えれば、“やれば出来る”なんていう悠長なことは言ってられない。

スタッフが、私にこう聞く。「何で彼らは、戦えないんでしょうかねー」と。
戦う基準が彼等それぞれ、というより、現代においては戦うことの意味すらわからない彼等がいる。せいぜいスマホのゲームの中でくらいしか戦っていないのだろうと推測する。

そのような中で“やらせれば出来る”というフレーズが出てくる。
現代においては、昔では当たり前のように行われていたであろう事ではなく、いかに理論的に、また選手が心から“やらなければ”と思うために“やれば出来る”ではなく、“やらせれば出来る”にしてきた。この手法は私の20年近くの経験からなるもので、これといったマニュアルは無い。

この“やらせれば出来る”ということは、以前にも書いたかもしれないが、選手を“本気にさせる”ということとリンクしている。

「どうしたら息子(娘)を本気にさせられるか?」
いつでも相談に乗らせていただきます。連絡を下さい。
小崎 峰利

2016年3月4日金曜日

中高一貫指導

先日、当地区のとある高校の監督から、「誠に申し訳ありませんが、ある選手に教育的指導をしてもらえないか」と連絡があった。もちろん、名古屋フットボールクラブ出身の選手である。「こちらこそ教育的指導をしなくてはいけない選手を送って申し訳ない」と答えたのは言うまでもない。

私は、この様な関係を20年程続けている。この様な関係とは、県外に送り出す選手も多いなか、送り出した先の高校の監督と密に連絡を取り合っている。寮生活など親元から離れて生活をし始めたばかりの選手は、様々な面で不安定になっていることが多い。先々での環境を予測して、対応できるように指導はしてきても、全てが上手くいくはずがない。ましてや、親元を離れた選手ではなおさらのことである。

この様に、中学年代の指導者と高校年代の指導者が連絡を取り合って情報交換し、“サッカーという競技の本質は何か”ということや、その先に必要な社会性などを共有しながら、互いに指導することが如何に大切かと考える。

私の経験上、高校生活、特にサッカー部は強豪高校になればなるほど、指導管理が厳しいはずである。そのなかで、自分自身の意志に基づいて、しっかりとした言動が出来る選手ばかりではない。その場は緊張した雰囲気もあって、しっかりするのが当たり前であるが、なかには、緊張した空気のなかにいてこその「当たり前にできる」を勘違いする選手もいる。そういった勘違いをなくすためには、まだ無垢なはずである中学年代にしっかりとした考え方を植え付け、高校年代からはその考え方を基に自分自身で緊張感が作れるよう、中高年代の指導者が連携することも重要ではないかと考える。

今回連絡をくれた高校のサッカー部は、今後も伸びていくであろう。なぜなら、出身チームに連絡してまで、その選手の問題点を矯正していこうと考えること自体、チームやその選手の成長を本気で考えていることに他ならないからである。
まさに“中高一貫指導”の雰囲気である。


小崎 峰利