2016年6月21日火曜日

“聞く力” “考える力” vol.1

大学サッカー部の指導を引き受け、今年で7年目に突入する。その間、名古屋フットボールクラブも並行して指導してきた。

その中で、ここ数年特に感じることがある。
大学生でも伸びる選手と伸びない選手が極端に分かれることを実感している。

「それは何故か?」と考えると、まずもって“話を聞くことができるか否か”である。

指導者が、選手を集合させていろいろと話をする。集合させるにしても、指導者は壁を背に立つ、風下に立つなど選手の集中力を妨げないような立ち位置を考えている。
にもかかわらず、大学生にしても中学生にしても(たぶん高校生でも同じだと思うが…)、コーチが話をしているときに一人一人の表情や眼つきなどを観察していると、間違いなく話には集中していない顔をしている選手がいる。年齢が上に行けば行くほど、その傾向は顕著である。
集合という形態だけがすべてであり、話の中身はあまり聞いていない。人が話をしているのに、隣の選手と話をしている選手もいる。座って話をしようものならスパイクのひもを触ったり、ストッキングを触ったりとまるで休憩時間のようでもある。さすがに中学生では、そこまでやる選手はほぼいないが…。

サッカーシーンにおいては、当然のごとくリアルタイムで話をすることが多いはず。時には、プレーをフリーズして話をするわけだから、その場面一つ一つがどれだけ大事かが、わかるはず。そのようなときに“聞いているふり”をしている選手がどれだけ多いことか。これでは、戦術など動きの説明をしても前に進まない。

最近のJリーグで、ある監督が「技術ではない。スペースをどのように埋めることができるかだ」と言っていた。このように動きというのは、特に守備に関しては戦術を理解するというより、どのようにポジションを取るとかということになってくる。

中学1年生で既に話を聞くことやその話を聞いて即座の実行ができない選手が、年々増えてきていることは紛れもない事実である。これは、人の話を聞くという場面が確実に減ってきているし、大学生に至っては高校時代に聞くふりをしてきた選手が、いかに多いかといことに他ならないと考える。

目に見える技術は身体で覚えることが多いが、これも頭脳を働かせながらポイントを押さえて反復練習をするか否かでは雲泥の差がある。

“聞く力”“考える力”はどのようにして養われるのか?

名古屋フットボールクラブではこのことを踏まえ、“聞く力”と“考える力”、また、“聞いて考え、それをいかに表現し行動していくか”ということを教え込むことが重要であると考えて指導している。
最近では、「こうすれば選手の頭脳のアンテナをしっかり立たせ、頭脳の中へ落とし込むことができる」という、ちょっとした手応えを感じながら日々話をし、実行させている。

小中学生のお子さんがいるご家庭でも、どうしたら“聞く力”“考える力”が養われていくのか考え、少しでも意識させるということを普段の生活の中で実行していただくことで、着実に選手たちの頭脳に定着していくはずである。 ~パート2へ続く~

小崎 峰利

2016年4月5日火曜日

やらせれば出来る

よく聞くフレーズに「やれば出来るのに・・・」ということがある。
ある親御さんは「やれば出来るのに、やらないんですよ」とか「やりなさいと言っているのに、やらないんですよ」と・・・。

私は、名古屋フットボールクラブを始めたときから、“やれば出来る”ではなく“やらせれば出来る”と信じてやってきた。

選手の基準は、それぞれである。
生まれ育った地域や家庭の基準、それぞれの性格における物事への関わり方。
周りに居ることの多い大人の考え方や基準。影響力の強い人の基準。

そのような、それぞれの基準が異なる中学生、しかも、「今後プロを目指したい」とか「強くも上手くもなりたい」と言う様々な選手を預かるのである。その選手達を、それぞれの基準でやらせていたら、上に行くことが出来るはずがない。

“やらせれば出来る”という言葉は、聞こえは悪いが、サッカーというスポーツの競技性を考えれば、また、今後のカテゴリーや社会を考えれば、“やれば出来る”なんていう悠長なことは言ってられない。

スタッフが、私にこう聞く。「何で彼らは、戦えないんでしょうかねー」と。
戦う基準が彼等それぞれ、というより、現代においては戦うことの意味すらわからない彼等がいる。せいぜいスマホのゲームの中でくらいしか戦っていないのだろうと推測する。

そのような中で“やらせれば出来る”というフレーズが出てくる。
現代においては、昔では当たり前のように行われていたであろう事ではなく、いかに理論的に、また選手が心から“やらなければ”と思うために“やれば出来る”ではなく、“やらせれば出来る”にしてきた。この手法は私の20年近くの経験からなるもので、これといったマニュアルは無い。

この“やらせれば出来る”ということは、以前にも書いたかもしれないが、選手を“本気にさせる”ということとリンクしている。

「どうしたら息子(娘)を本気にさせられるか?」
いつでも相談に乗らせていただきます。連絡を下さい。
小崎 峰利

2016年3月4日金曜日

中高一貫指導

先日、当地区のとある高校の監督から、「誠に申し訳ありませんが、ある選手に教育的指導をしてもらえないか」と連絡があった。もちろん、名古屋フットボールクラブ出身の選手である。「こちらこそ教育的指導をしなくてはいけない選手を送って申し訳ない」と答えたのは言うまでもない。

私は、この様な関係を20年程続けている。この様な関係とは、県外に送り出す選手も多いなか、送り出した先の高校の監督と密に連絡を取り合っている。寮生活など親元から離れて生活をし始めたばかりの選手は、様々な面で不安定になっていることが多い。先々での環境を予測して、対応できるように指導はしてきても、全てが上手くいくはずがない。ましてや、親元を離れた選手ではなおさらのことである。

この様に、中学年代の指導者と高校年代の指導者が連絡を取り合って情報交換し、“サッカーという競技の本質は何か”ということや、その先に必要な社会性などを共有しながら、互いに指導することが如何に大切かと考える。

私の経験上、高校生活、特にサッカー部は強豪高校になればなるほど、指導管理が厳しいはずである。そのなかで、自分自身の意志に基づいて、しっかりとした言動が出来る選手ばかりではない。その場は緊張した雰囲気もあって、しっかりするのが当たり前であるが、なかには、緊張した空気のなかにいてこその「当たり前にできる」を勘違いする選手もいる。そういった勘違いをなくすためには、まだ無垢なはずである中学年代にしっかりとした考え方を植え付け、高校年代からはその考え方を基に自分自身で緊張感が作れるよう、中高年代の指導者が連携することも重要ではないかと考える。

今回連絡をくれた高校のサッカー部は、今後も伸びていくであろう。なぜなら、出身チームに連絡してまで、その選手の問題点を矯正していこうと考えること自体、チームやその選手の成長を本気で考えていることに他ならないからである。
まさに“中高一貫指導”の雰囲気である。


小崎 峰利

2016年2月5日金曜日

2016年度スタート ~OBの活躍に刺激をもらって~

2015年度も、多くのOBが全国で活躍してくれた。
第94回全国高校サッカー選手権大会及び第24回全日本高等学校女子サッカー選手権大会において、名古屋フットボールクラブ出身選手が4名出場した。

【辻選手(名古屋FC→中京大中京高校)】
ゲームキャプテンとして3試合にフル出場。ニュースでも話題になった超ロングフリーキックでの得点を果たし、身体能力が高くないなかでよくゲームをコントロールしていた。高校1年生のときは色々悩んだこともあり、相談や愚痴を聞いたりもしたことが懐かしい。

【柳田選手(名古屋FC→四日市中央工業高校)】
惜しくも1回戦敗退となったが、ボランチとしての役目を黙々とこなし、地味ではあるが、いぶし銀の活躍をした。
四日市中央工業高校監督いわく、「本当に地味ではあるが、危険察知能力が高く、戦える選手である」とのこと。辻選手と同じ大学に進む。2人そろってボランチを組み、大学での活躍に期待したい。

【船坂選手(名古屋FC EAST→星稜高校)】
メンバー入りを果たしたものの、残念ながらピッチには立てなかった。しかし、星稜高校スタッフから、「フォアザチームの精神を遺憾なく発揮し、とにかくまじめに3年間を過ごしました」と報告を受けた。“あっぱれ”と言いたい。

【児野選手(名古屋FC→藤枝順心高校)】
名古屋FCの歴史上唯一の女子選手。FIFA U-17女子ワールドカップコスタリカ 2014制覇にも貢献し、現在は藤枝順心高校の10番エースとして、第24回全日本高等学校女子サッカー選手権大会で全国制覇を果たし、自らも得点王を獲得した。“目指せ!なでしこジャパン”

【大南選手(名古屋FC→鹿児島実業高校)】
センターバックとして2年生から頭角を現し、夏の高校総体に出場、冬の高校選手権には出場できなかったが、来期はジュビロ磐田への入団が決まっている。名古屋FCではフォワードであったが、高校進学に際して鹿児島実業高校の監督に「センターバックの適正とDF向きの性格をしている」と進言したことが懐かしい気がする。Jリーグの舞台で、ぜひとも頑張って欲しい。

【西川選手・山下選手(名古屋FC→創造学園高校)】
夏の高校総体に出場し、今選手権を逃した選手が2名います。キャプテンの西川選手と山下選手は、夏の高校総体で、くしくも愛知県代表に勝利するなど活躍したが、冬の高校選手権出場は逃した。大学サッカーで口惜しさを晴らして欲しい。

【松澤選手(名古屋FC EAST→浦和レッズユース)】
キャプテンとして2015Jユースカップで全国制覇を果たした。

他にも、石川県のベスト4に進出した遊学館高校の上村選手、怪我をして最後の高校選手権予選では悔しい思いをした浜松開誠館高校の加藤選手、名古屋高校のセンターフォワード筧選手など、挙げればきりがない。

名古屋FCのチームとしての成績は芳しくなかった年代だが、高校サッカー界では多くの選手が、それぞれのステージで存在感を醸し出し、活躍しているということがうれしい限りである。

前述の選手達はジュビロ磐田に入団する大南選手を除き、大学サッカーへ進む。「最低でも22歳までは競技サッカーを続けること」という名古屋フットボールクラブの考えを実践している。このことも大きな喜びである。

高校サッカーや大学サッカーでも活躍してくれるOBに期待しながら、2016年をスタートしたい。


小崎 峰利

2015年12月25日金曜日

“心・技・体”と“継続は力なり”

小学生時代の遊びからスポーツに進化し、徐々に競技スポーツに目覚めた頃、私はたまたまサッカーと出会った。
              
12歳からサッカー競技を始め30歳で現役を引退、その後約30年間指導者としてピッチに立ち続けているなかで、あらゆるスポーツ界において“心・技・体”というフレーズを耳にしてきた。

私も、事あるごとに“心・技・体”という言葉を選手に言ってきた。
10年以上前になるかもしれないが、ふっと感じ“心・技・体”の順番に触れた話をした。

なぜ“心・技・体”なのか。“体・技・心”でもなく、“技・体・心”でもない。

「やはりスポーツは“こころ”が一番重要である」ということを選手に言うようになった。

それからは、その“こころ”の部分にかなりこだわって話をしてきた。お預かりした3年間で、どれほどの“こころ”に関する情報を提供しただろう。
我々に教えられるものとしては“こころ”と“技術”がほとんどである。
“体”は栄養に関すること、怪我や病気をしないための準備を徹底する為の情報提供しか出来ない。

とにかくベースは“こころ”であると信じて疑わない。
その“こころ”のベースが感謝と思いやり、気遣いと言ったところか。

また“継続は力なり”についての解釈もこのように思う。

“継続は力なり”

継続することによって力になっていくということであるが、継続するということは簡単ではない。
継続すること自体も能力のような気もするが、私は継続をしていく力も養っていかなければいけないと感じる。
この継続をすることができる力は、“こころ”から湧き上がってくるはずである。

ゆえに全ての競技スポーツの原点は、“こころ”であると考える。
小崎 峰利

2015年11月18日水曜日

選手の潜在能力をいかに引き出すか

“潜在能力を引き出す”については、以前にも少し書いた。
選手へのアプローチの仕方は、選手の数だけあると言っても過言ではない。しかしながら、ほとんどの大人は選手へのアプローチに問題があると考えていない。(特に自分の子供に対しては私を含め誰でも・・・)

“褒め方と怒り方”
この手法のウエイトは、かなり大きい。この手法においては、私も相当な経験値と実績とを持った指導者の一人であると自負している。

最近、ある大学の監督とこんな話になった。
現代の高校や大学には、“上手い選手”は大勢いる。ただ、これらの大半は、いわゆる“上手いだけの選手”で終わってしまうのが現実である。
“上手いだけの選手”の共通点は、意識の持続とやるべき事への継続性が不足し、自分で納得できない事へ心が拒否反応を示してしまう。本当の意味で理解できていない。

ジュニアユース年代での意識の希薄さ、色々な事への対応力の乏しさ、サッカーという競技の本質の理解不足等々に要因がある。技術(ハード)だけに特化してきたわけではないだろうが、考え方や取り組み方(ソフト)との落とし込みのバランスが悪かったのだろうと思う。

これが俗に言う、「あの選手もったいないよね。上手いのに・・・」とか、「あの上手かった選手はどうしちゃったの?」とか言われる所以である。

選手の保護者向けに、よくこんなフレーズを口にしてきた。
「何でうちの息子は叱られてばかりいるの?何であの子は怒られることがないの?何でうちの子は叱ってくれないのですか?などと思わないで下さい。」
「同じことを感じさせ、意識させ実行させるには声の掛け方、口調、タイミング等々全てが違います。同じことを感じさせるにも、選手によって手法が違うのです。」

それはチーム発足以来、今も何ら変わっていない。
一人でも多くの「本当に上手い選手」の育成を目指して。


小崎 峰利

2015年11月6日金曜日

高校サッカー事情

以前、「“全国区のクラブチーム”となるためには何が重要かを考えた時、・・・中略・・・チームカラーとして“あいさつ”“身だしなみ”を厳しく指導、また、今でこそ当たり前だが、移動用のジャージ・シューズ・バッグを揃えて(あえて費用をかけて)“規律”を重んじてチームの大切さを強調、さらには私生活・学校生活・勉学についてもかなり厳しく指導・・・中略・・・、オンザピッチだけでなくオフザピッチにおいて、それなりの存在感を示すことができていたことが、後々の全国の高校サッカー界とのパイプ作りに繋がっていったと実感している」と書いた。

そういうなかで、名古屋フットボールクラブの選手に興味を示してくれた愛知県内はもちろん、県外有名校の監督にも連絡を取り、頭を下げて練習見学や選手を練習に参加させていただくことを繰り返すようになって、高校サッカー界における人脈が形成されたと思う。

とにかく、選手の将来を考えて色々なところに足を運んだ結果と、選手が進学した高校において名古屋フットボールクラブで学んだ事をしっかりと遂行し、迷惑をかけずにやってきてくれたおかげで、全国区の高校への輩出が続けられていると考えている。

名古屋フットボールクラブは「県外の高校へ多くの選手を送る」、「ある高校へしか選手を送らない」などと言われたことがあった。

愛知県の高校サッカー界では、サッカーに重きを置いて全国優勝やプロ選手を目指すには、全般的な環境が今一つであると言わざるを得ない。

確かに、監督は自己犠牲のうえで一生懸命指導している。
しかしながら、愛知県は成績によって入学時における関門が非常に大きい。他県では選手の成績面に柔軟性?を持たせている強豪校も多いが、愛知県の強豪校は成績面にシビアである。

現実として、成績は芳しくないが、サッカーでは高い可能性を秘めた選手がいる。

こういった選手を受け入れていただける強豪校は少ない。
そこで、県外のサッカー強豪校へお願いすることになる。こういった事が積み重なって「県外ばかりに送る」と言われ始めたのである。

これは非常に難しい問題であり、愛知県内では解決し辛いであろう。
サッカーの本質を理解し、リスク?を負ってでもサッカー部の強化を敢行する高校が増えてくれば有望な選手の県外流出は少なくなり、全国でも充分に戦える可能性は高まる。また、県内の競争が激化し、全体のレベルアップにもつながる。

しかしながら、“サッカーが全てではない”という現実も確かにある。
我々指導者は、選手達の将来を考えなければならないので、ここが悩むとこである。大学以降も含めた将来展望を、視野に入れて進路は考えるべきである。

私は、他チームの指導者に会う度に自分の指導理念を切々と話をする。
私はお酒が飲めないので、食事をしながら、コーヒーを飲みながら、温泉につかりながら、などといった場面になる。


「とにかくサッカーに真摯に取り組み、気遣いとチームを思いやる選手の育成、また、チーム力はどうしたら上げられるかを常に学ぶことが私の使命。基本技術の大切さと対応力、順応性を身に付け、どのチームにおいてもキャプテンを任される選手の育成を目指している」と言っている。切々と・・・